女体化するオタク

 (1)女の子になりたい

 2001年、オタクを研究する者たちがオタクについて語り合う、「網状言論F」というシンポジウムが行われた。

 「セクシュアリティの変容」で永山薫は、「エロ漫画の作者、読者というのは実は女の子になりたいんじゃないかということがあるんですね。[中略]描かれている「少女」を自分のヴァーチャルな身体として捉えているのではないか[中略]やっぱり一所懸命頑張っている男になるよりは、気持ち良くなっている女の子になったほうが得だよねという意識がどこかで働いているのではないかと思います。」と言った。

 一方、「「萌え」の象徴的身分」で斎藤環は、「永山さんからは、オタク男性は女性的な身体になりたいのだという指摘がありました。そこには随分うなずける点もあったんですけれども、やはり私の基本的な認識は、男性のセクシュアリティは『所有』を志向するということなんですね。」と言った。

 「ポストモダン・オタク・セクシュアリティ」で東浩紀は、「『少女になりたい』幻想は、宮台さんたちの世代から僕ぐらいの年齢まで、ある世代の日本人男性にかなりはっきり見られる傾向でしょう。永山薫さんがロリコンマンガを読む男性読者は実は自分が犯される女の子になりたいんだ、と指摘しているけど、興味深い現象ですね。」と言った。

 一方、東浩紀の発言を聞いた斎藤は、「オタクが女性化しているという説だけは納得いかないなあ。」と言った。


 (2)「持ちたい」と「なりたい」

 「「萌え」の象徴的身分」で斎藤は、「オタクの欲望が『持ちたい』であるとすれば、やおい[引用者注:腐女子を指す。当時は「腐女子」という語はまだ普及していなかった。]の欲望は『なりたい』欲望として位置づけることが可能になるでしょう」とも言った。

 一方、「網状の言論を解きほぐしていくこと」で伊藤剛は、「キャラクターに対する欲望を『男性―持ちたい/女性―なりたい』とした整理はいただけない。[中略]八〇年代後半以降の、いわゆる美少女系マンガ誌の投稿欄を反証にあげることができるだろう。そこで、読者ハガキの短いメッセージに添えられた図像のほとんどが『美少女』のそれであることは、なにを意味するのだろうか。ハガキの主は、自分のメッセージを誰かに伝える媒介として美少女の図像を選んでいる。これは『なりたい』欲望ではないのだろうか?」と言った。

 つまり、永山はオタクは少女になりたがっていると主張し、東や伊藤はこの主張に賛同した。一方、斎藤はこの主張に反対した。それじゃあ、永山の考えと斎藤の考えのうち、どちらが妥当だろうか?


 (3)オタクの精神分析

 斎藤の考えは、ラカンという精神分析家の理論に基づいている。ラカンは、男性の欲望は女性を所有することだと考えた。斎藤は、この考えに基づいて、男性が女性になりたがることはないと考えた。

 こう言うと、オタクが少女になりたがっているという考えとラカンの理論は矛盾しそうだけど、実際には矛盾しない。ラカンは、男性は女性を愛する時、女性の主体を愛しているんじゃなくて、女性に初恋の人の面影を見出して自慰をしているだけだと考え、この初恋の人の面影を対象aと呼んだ。

 多くの男性は女性に対象aを見出すのに対して、オタクは自分に対象aを見出している。言い換えれば、オタクは少女になった自分を所有しようとしている。オタクが少女になりたがることは、ラカンの理論で説明できるから、オタクが少女になりたがっているという考えとラカンの理論は両立すると言える。


 (4)メタバースとオタク

 僕は、オタクは少女になりたがっているという考えに賛同する。その根拠として、2021年にバーチャル美少女ねむとミラがおこなったソーシャルVR国勢調査2021が挙げられる。

 ソーシャルVR国勢調査によると、物理現実で男性である人のうち76%が女性のアバターを使っている。これは、メタバースの住民である男性は、自分の体を自由に決められるなら、女性の体を選ぶ人が多いということを示している。このことから、オタクは、自分の体を自由に決められるなら、女性の体を選ぶ人が多いと推測できる。

 確かにメタバースの住民とオタクは同じじゃないけど、バーチャルリアリティを含む新しい技術を開発した人にはオタクが多いことから、メタバースの住民とオタクの性質は近いと考えられる。したがって、オタクが少女になりたがっているという考えは妥当だと言える。


 参考文献

 東浩紀編『網状言論F改 ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』、青土社、2003年
 バーチャル美少女ねむ『メタバース進化論 ――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』、技術評論社、2022年

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